2011年10月25日
高遠長谷歴史散策サイクリングその2、孝行猿、
江島囲み屋敷跡を後にしたマイケルは孝行猿に会いに入野谷を目差します
国道152号線(秋葉街道)を美和湖沿いに南下すると
美和湖の向こう側に作業用道路がありダム工事が終わって今は一般車も通行
出来るようになっているので行ってみました

一番高い所からの眺めです、気分最高!

赤い橋の手前を左折すると仙流荘、戸台方面、橋を渡ると市ノ瀬、入野谷
方面です、橋を渡って入野谷を目差します。

気の里入野谷の前に設置された孝行猿の碑

孝行猿の民話
(木島平村生まれの常田冨士夫さん風に読んで下さい)
むか~しむかし入野谷村(現伊那市長谷市ノ瀬)に勘助という腕のいい猟師
がおった~、冬も近いある日勘助は猟にでたが兎一匹捕れんかった~
帰り道ふと木の上を見ると大きな猿が寝ておった~勘助は気が進まんかったが
手ぶらで帰るよりもいいと思い猿を仕留めたんじゃ~、その時後ろの方で
悲しげな猿の声が聞こえたんじゃが気にもせんで、家に帰ったんじゃ~
そして仕留めた猿の両手足を縛り囲炉裏の上に吊るして寝たのじゃった~
夜中に物音がして目を覚ましそっと戸の隙間から隣の部屋を覗いてみると
どこから入ってきたのか一匹の小猿が囲炉裏の火で手をあぶり四つん這い
になった2匹の小猿の背中に乗り吊るされた母猿の傷口に手を当てて温めて
おったんじゃ~、勘助が撃ち殺した母猿をなんとか生き返らせようとしとっ
たんじゃ~(涙々)
昨日帰りに聞いた猿の声はこの子猿の声だったんじゃな~、勘助は母猿を
生き返らせようと夜中手当てをしている小猿達を見て「自分の生計を立てる
為になんと情け無い事をしてしまったのかと後悔の気持ちで胸がいっぱいに
なったのじゃった~、子猿達は夜が明けると山へ帰って行った~
親子の愛情に深く胸を討たれた勘助は、母猿を一本松の根元に手厚く葬って
やったんじゃ~、そして猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔して
女房に暇を摂らせ頭を丸め一心不乱の念仏者となり諸国行脚の旅に出たんじゃ~
勘助さんは実在の人物で家も残っております、母猿を奉った小さな祠も残って
います、現在は勘助さんの子孫の方が家を守っておられます。
歴史散策サイクリングはまだつづく~。
国道152号線(秋葉街道)を美和湖沿いに南下すると
美和湖の向こう側に作業用道路がありダム工事が終わって今は一般車も通行
出来るようになっているので行ってみました
一番高い所からの眺めです、気分最高!
赤い橋の手前を左折すると仙流荘、戸台方面、橋を渡ると市ノ瀬、入野谷
方面です、橋を渡って入野谷を目差します。
気の里入野谷の前に設置された孝行猿の碑
孝行猿の民話
(木島平村生まれの常田冨士夫さん風に読んで下さい)
むか~しむかし入野谷村(現伊那市長谷市ノ瀬)に勘助という腕のいい猟師
がおった~、冬も近いある日勘助は猟にでたが兎一匹捕れんかった~
帰り道ふと木の上を見ると大きな猿が寝ておった~勘助は気が進まんかったが
手ぶらで帰るよりもいいと思い猿を仕留めたんじゃ~、その時後ろの方で
悲しげな猿の声が聞こえたんじゃが気にもせんで、家に帰ったんじゃ~
そして仕留めた猿の両手足を縛り囲炉裏の上に吊るして寝たのじゃった~
夜中に物音がして目を覚ましそっと戸の隙間から隣の部屋を覗いてみると
どこから入ってきたのか一匹の小猿が囲炉裏の火で手をあぶり四つん這い
になった2匹の小猿の背中に乗り吊るされた母猿の傷口に手を当てて温めて
おったんじゃ~、勘助が撃ち殺した母猿をなんとか生き返らせようとしとっ
たんじゃ~(涙々)
昨日帰りに聞いた猿の声はこの子猿の声だったんじゃな~、勘助は母猿を
生き返らせようと夜中手当てをしている小猿達を見て「自分の生計を立てる
為になんと情け無い事をしてしまったのかと後悔の気持ちで胸がいっぱいに
なったのじゃった~、子猿達は夜が明けると山へ帰って行った~
親子の愛情に深く胸を討たれた勘助は、母猿を一本松の根元に手厚く葬って
やったんじゃ~、そして猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔して
女房に暇を摂らせ頭を丸め一心不乱の念仏者となり諸国行脚の旅に出たんじゃ~
勘助さんは実在の人物で家も残っております、母猿を奉った小さな祠も残って
います、現在は勘助さんの子孫の方が家を守っておられます。
歴史散策サイクリングはまだつづく~。
Posted by ヤスシマイケル at 22:07│Comments(0)
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