2012年05月13日

お~旧中仙道に自転車の化石か?勝弦峠の巻

昼飯食った~、さて今日の食後の腹ごなしライドは勝弦峠に決定ー!
つー訳で、12時半に家出したマイケル、箕輪花桃街道で辰野まで行き
小野から塩嶺王城パークラインをヒルクライムだ~、と途中でこんなの
見付けたぞ、初期中仙道一里塚!興味深々。


「中仙道は慶長6年家康の命を受けて大久保長安が整備し、このとき諏訪と
木曽を結ぶ街道として中仙道の本道として利用されたが、2つの峠越えと
沢つたいの険しさで、長安亡き後、塩尻経由の新道が整備されたとある、
またここ楡沢の一里塚は、江戸から58番目の一里塚で一対の塚が完全な
形で残っている」って書いてあります、ざっとですが。


あのこんもりしてるのが塚です。


大きな塚の横に少し小さい塚があり、一対になっています。


その間が正に旧中山道そのものなのだ~!江戸時代この道を旅人が往来したん
ですね~、ゆっくりと足の裏で歴史をかみ締めよう。


さて先を急ごうと思って歩き出したら何かに足が引っかかってコケそうに
なった、何だ?木の枝?何これ?骨?ぎょ~江戸時代の自転車の
化石か~!んな訳ねーだろ、1億6千年前のシマノサウルスの化石かー!
そんな恐竜いませんから、一人ボケ突っ込みはこれくらいにして、


後ろに、度デカイスタンドが付いてます、後輪をどっこいしょと持ち上げる
台形のやつですよ、懐かしいです、ギヤもシングルギヤで、チェーンカバーが
付いていた形跡があります。


サドルは皮製のように見えます、荷台も時代を感じさせますね~。


歯数はざっと数えて46Tです、ペダルは壊れていますがゴム製ですよ。
さて発掘調査はこれくらいにして、先を急がないと、読者がこいつ何時まで
やってんだってことになりますから。


また、どーでもいい物見っけ!日本武尊がここでわらじの紐を結び直した石


日本書記に書いてあるのかな~?


枝垂れ栗公園まで登ってきました、写真撮りながら休憩~。


きゃー、怪獣達がいっぱいだ~。


宇宙怪獣が蠢いて(うごめいて)る~


びびるなよ~。


さて、太ももに溜まった乳酸も解消されたようなので、出発で~す。
オッ、俺の横をスーと通り過ぎたよ、3年前のマイケルなら簡単に抜き返えせ
るんだが、全然着いていけませんface07


これを下ると塩尻のみどり湖に行かれます、今日はみどり湖で折り返して
塩嶺高原経由でまた元来た塩嶺王城パークラインを帰ります


みどり湖で折り返して、塩嶺高原の別荘地へ登って来ました、九十九折の
ヒルクライムです、キッツ~。


やっと勝弦峠まで戻ってきました、諏訪湖と八ヶ岳を見ながら休憩です。


おなじみの山々も見えます、甲斐駒、鋸岳、北岳、仙丈ヶ岳


少し休んで、少し下った所に、こんなのがあり


小野峠80mだって?行ってみる?行ってみよ。


この道80m先が旧中仙道の小野峠らしい。


これね、この石碑は最近のものですな。「右 小野 左 三沢」ってことだ


さらに、下ってくるとこんな岩があり、


何々、ん~なるほど~ザ・ワールド
つまりこういうことだ「寛文5年小野と岡野谷村がこのあたり(楡沢山)の
山林原野の利用をめぐって紛争になり幕府の役人と高島藩の役人との間で
調停が行なわれ、和解が成立した。」


中央の将棋の駒形の中に文字が彫られていたようです、今は風化して読めない


今日は今年最初のヒルクライムでした、この小野から塩嶺高原を中心とした
あたりは、幾つかの峠越えルートがあり、ヒルクライマーにとっては絶好の
トレーニング場所と言えるでしょう、トレーニングでなくてもゆっくり景色を
見て、歴史を紐解きながらのポタリングもいいかもね。

それでは、また。  


Posted by ヤスシマイケル at 22:09Comments(4)伊那を飛び出して